松山城北エリアの見どころマップ
〇 護国神社
社殿は、昭和20年の戦災で焼失しましたが、同30年に再建されました。ここには、戊辰戦争以降、太平洋戦争に至るまでの愛媛県出身の戦没者、及び、藩政時代の各藩の藩主、産業功労者、文化人なども合祀されています。また、20基弱の慰霊碑を始め多くの記念碑があります。
〇 一草庵
「一草庵」は、漂白の俳人・種田山頭火の晩年の住処です。御幸寺境内の納屋を改造した庵で、昭和14年、山頭火57歳のとき、当地を「終の住処」として「一草庵」と名付けました。翌15年10月11日にここで生涯を閉じました。現在ある建物は、平成21年4月に松山市制施行120年行事として改築され、リニューアルオープンしたものです。
〇 寺町
江戸時代、松山城の北の守りとして、始めからこの地にあった「御幸寺」と他所から移された11ヵ寺、合計12ヶ寺で、約1.5㎞の寺町が構成されました。「斎藤茂吉」を生涯愛した永井ふさ子の墓がある「長建寺」や、江戸時代に治水工事を行い、「重信川」の名前の由来になった足立重信の墓がある「来迎寺」など、古刹・名刹が多くあります。
〇 ロシア兵墓地
「ロシア兵墓地」には、明治37・38年の日露戦争のとき捕虜になり松山へ送られ、当地で亡くなったワシリー・ボイスマン海軍大佐をはじめ98名のロシア兵の墓があります。松山では非常に厚遇された噂が広がり、捕虜になる時、「マツヤマ!」と叫んだそうです。