7月21日(木)13:00~
交流事業部会企画で、「味酒野めぐり」を実施しました。
味酒野は、松山城の西側にあり、江戸時代から栄えた街です。
フジグラン松山に集合・出発して、一筆書きで、約2.5キロを歩きました。
とても暑い日でしたが、日陰を歩き、見学地様には様々なご配慮をいただき、
無事にめぐることができました。
【庚申庵】
江戸時代、伊予俳諧の第一人者栗田樗堂の庵。小林一茶も訪れています。
NPO法人Green Culture in Matsuyama庚申庵倶楽部
「庚申庵」の保護・保全を行い、広く地域住民に対して、庚申庵の活用・調査・研究及び普及に関する事業を行っている、
理事長 松井忍先生(松山東雲女子大学名誉教授)に説明いただきました。
【雲祥寺】
加藤嘉明がお城の南側(萬翠荘付近)にあった、阿沼美神社と一緒にあった雲祥寺を菩提寺とするため
現在の味酒に移したと伝えられている。
本堂の鬼瓦、軒丸瓦は、蛇の目の家紋がみえます。
明治時代、日露戦争後、松山ではロシア兵捕虜を受け入れました。雲祥寺はロシアに従軍したポーランド人を受け入れました。
先々代の住職から伝わっている話として、コニャックを買ってきて欲しいと頼まれ、こんにゃくを買ってきたことがあったそうです。
【札ノ辻】
西堀端の北の角に当たります。江戸時代には高札が掲げられていました。
各街道の出発点にあたります。
【松山電気軌道跡 レンガ遺構】
イギリス積みのレンガ遺構です。みんなが立っているところに松山電気軌道が通っていました。
【得法寺】
栗田家の菩提寺です。ご住職に丁寧な説明をしていただきました。
【大林寺】
三代目藩主 松平定行が寺号を「大林寺(だいりんじ)」と改め、松平家(久松家)の菩提寺としました。
明治以降は県庁の仮庁舎として使われたり、ロシア兵捕虜の収容所になったりしました。
広い敷地のお寺でしたが、戦災ですべて焼けてしまいました。
コンクリート造で建て直し、本堂にはエアコンも早い時期に設備されたそうです。
松山には歴史と文化やゆかりの地が沢山あります。
暑い日となりましたが、とても有意義な見学となりました。
次回の松山再発見!は来年二月「松山に残るレンガ遺構を訪ねる」を計画しています。
皆様これから厳しい暑さが予想されます、ご自愛くださり、お元気に夏をお過ごしくださいませ。