駅からウォーク ~紅葉の城北~ 実施終了しました。
日露戦争後 ロシア兵捕虜をたくさん受け入れ 明治38年ごろには約4000人がいたと言われています。
収容人数は増えるごとに、陸軍の施設以外に数多くのお寺などを借りて、収容所としました。
捕虜将校には道後温泉の入浴や遠足・松山の街を散策をしたり、道後公園では自転車競走が行われたりしました。
学校をはじめ市民もあたたかくロシア人をもてなしました。四国遍路の国、「おせったい」の気持ちでしょうか。
ガイドに田中さん 渡部さん
天気もよく 紅葉も美しい松山の街を歩きました。
次回は3月三津浜まち歩きです。
ご応募お待ちしております。 松山観光ボランティアガイド 上松